男らしさ・女らしさとは教養である

生まれつき男性なのか、女性なのか、ということは肉体面でしか判別できません。いわば第二次性徴が訪れるまで、無性に近いのが人間です。その成長過程の中で、社会は「男らしさ」や「女らしさ」を教育し、第二次性徴で身体と振る舞いを一致させるようにします。

現在、医学的にはどうすべきなのか、と研究が進められている「IS(外見上の性別と内臓や遺伝子レベルでは性別が違う第三の性)」に生まれた場合であっても、多くの場合、肉体的な特徴から「男らしさ」「女らしさ」を身につけるように躾を行うのが普通にあります。

つまり男性であっても、女性であっても、その性別に生まれながらにできあがるのではなく、教育や躾の中で「らしさ」を身につけていくのです。「男らしさ」も「女らしさ」もそのまま育てられていった場合、身につかないという部分があり、教養であるともいえます。

多くの場合、男性は肉体面で勝っていますから、それにふさわしい行動や身のこなし、社会的な振る舞いを行うように躾けられます。また女性は精神面が勝っていて、その分、それを生かすような行動や身のこなしを躾けられていきます。いわば躾によるものなのです。

そのため教養としての「男らしさ」「女らしさ」に対して、反発を感じるということも珍しくはありません。事実、この躾で与えられることは、自分に強いるものであり、自分の規範を歪めさせなければならないという面も社会に出ていけばおのずから出てくるからです。

「男らしさ」も「女らしさ」も自分への拘束と同じものです。そこから逸脱することは、非常に勇気がいることです。ただし教養であると割り切っておくことで、もっと自由に自分なりに「男らしさ」や「女らしさ」を解釈することもできると知っておくといいですね。