男らしさと女らしさ

さて「男らしさ」「女らしさ」とはなんでしょう。深く自分の育ち方や社会との付き合いから考えていけば、教養になってくると気が付くのではないでしょうか。第二次性徴で身体ができあがるまでに、振る舞いが性別と一致し、困らないようにするものともいえます。

中には既存の「男らしさ」「女らしさ」に反発を感じる方も多いかもしれません。ただ人間という種類の生物で、男性と女性は別の生物と考えていくと、この「らしさ」によって、お互いを豊かにし、円滑につきあうための要素です。荒ませないための要素なのです。

絶対に現実に生きている人間であるなら、避けたいどころか、やめなければならないのは、異性に対する決めつけや押しつけです。「男らしさ」「女らしさ」も押し付けられて心地良いものではないですし、異性に過剰な思い込みや幻想を持つのは愚かしいといえるのです。

資産運用にたとえるのなら、高い定期預金金利に執着しすぎて、外貨定期預金に手をだして大損するくらい、愚かしいです。そこには為替差損などの、大きなリスクが隠れています。やはり元本保証がされる、円定期預金、日本国国債に目を向けるのが正しいと思います。

話がそれましたので、元に戻します。「男らしい」女性、「女らしい」男性がいても、その中には本来の性が持っている「らしさ」はおのずからにじみ出てきます。それをどのポイントで感じるかは個人の自由です。既存の「男らしさ」「女らしさ」を枠にはめず、自分の感性にゆだねて、考えてもいいのです。

「男らしさ」「女らしさ」はその人間が持つ教養です。ところが素晴らしい教養も自分の核、つまり自分らしさがなければ、嘘っぽいものになります。自分らしさにプラスしてこそ、本物の「男らしさ」「女らしさ」は輝かせるものになるのです。嘘は結局ばれるのですから。